過去100年の家族をみて分かるこれからの家族のかたち
あたりまえのようにそこにある家族。
でも、そもそも家族ってなに?
気になる理想的な家族のあり方はあるのか戦前・戦後・近年から未来の家族像を考えてみました。
まず家族を辞書で調べるとこう書いてあります。
夫婦をはじめ、生活を共にする親子・兄弟などの血縁集団。
また、2012年に自由民主党が公表した「日本国憲法改正草案」の第24条の冒頭にはこうあります。
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない。
しかし、家族のあり方とは長年変わることはないのでしょうか。
家族や親子を考えるうえで重要なのは、これまでの家族を知ることです。
そこで、過去から現在にかけての家族のあり方を見ながら、これからの家族像を考えていきます。
もくじ
1.時代とともに変化する家族
2.戦前の家族
3.家制度
4.戦後の家族
5.近年の家族
6.これからの家族
7.まとめ
時代とともに変化する家族
今から100年ほど前までの家族のあり方を考えると3つの大きな流れがあります。
1.戦前=第2次世界大戦前
2.戦後=第2次世界大戦後
3.近年=バブル崩壊後から現在
ここではこのように時代を区切って話を進めます。
なぜなら、これらが家族に最も大きく影響した出来事であると考えられるからです。
家族は社会情勢によって大きく左右されながら生活を営む集団の最小単位であり、経済の変動や国のあり方の変化に対して柔軟に対応することで生きのびようとします。
最近でいえば、「保育園落ちた日本死ね」というタイトルをつけたブログ記事が大きな話題となりました。
仕事と育児の両立を希望しているにも関わらず、仕事がなく保育園に預けられない。
保育園に預けられないから仕事が探せない。
それなのに仕事がある人が入園を優先される。
という制度の矛盾から生き方を選べない家庭の苛立ちがあのようなブログタイトルになったのでしょう。
現在の政府が掲げる一億総活躍社会の3本の矢とは「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」なのですが、現実はどの程度達成されているでしょう。
非正規労働者は増え続けており正規雇用者も収入や労働条件がよくない(ブラック企業)などの問題を抱えています。
女性には社会で活躍してほしい、子どもも産んでほしいという国の方針がありますが、保育先がなく、雇用条件もよくないことから十分な子育てができない。
介護はまだまだ家族が面倒を見るものという傾向が強く、必要なサービスを受けることができないなどの問題があります。
少子高齢化社会が進み、人々の価値観や働き方が大きく変わるなか、社会の構造も転換期にきています。
戦前の家族
それでは、戦前の家族とはどのようなものだったのでしょうか。
戦前の家族は3世帯が一緒に暮らすような拡大家族が普通でした。
なぜなら物質的な豊かさがなかった時代はお互いさま精神で、持っている人が持っていない人たちへ分け与えるような生活をしていました。
そのため家族間、コミュニティーとのつながりは非常に密度の高いものでした。
一人では生産性の限界が低いので、集団で生活することでバランスを取ろうとしました。
また、第一次産業がメインでしたので農業などでは女性も一緒に働くことが当たり前でした。
育児や家事は作業の合間に行っていたため仕事・家事・育児は明確には分かれていませんでした。
家制度
戦前の家族の大きな特徴は「家制度」です。
家制度とは、明治民法に採用された家族制度であり、親族関係のある者のうち更に狭い
範囲の者を、戸主と家族として一つの家に属させ、戸主に統率権限を与えていた制度。
戸主とは家の統率者で戸籍の筆頭者です。
そしてこの戸主には絶大な権力が与えらえていました。
① 家族の入籍、去家に対する同意権
② 家族の婚姻、養子縁組に対する同意権とこれに伴う離籍権、復籍拒絶権
③ 養親死亡後、養子の離縁に対する同意権
④ 家族の居住指定権とこれに伴う離籍権
⑤ 家族の瑕疵のある結婚、養子縁組の取消権
⑥ 家族の禁治産、準禁治産の宣告、取消の請求
⑦ 家族の後見人、保証人となる権利義務
⑧ 親族会に関する権利
さらに、日本の家制度の特徴は、江戸時代に発達した「家父長制」と、親は一人の子の家族とだけ同居することを原則とする「直系家族制」の二つが融合した形をとっていました。
そのため、長男のみが親と同居して財産を引き継ぐ。
妻は家族と同居し、三世代以上の直系家族を作る。
配偶者の選択は子供ではなく親が主導権を持つ。
父親は家長としての権限と責任、家族の身分管理と統制を行う。
養子、婿をとって家系(墓)を守る。
親の老後は長男夫婦が責任を持つ。
子どもは家父長へ服従する。
などが、家族ルールとしてありました。
そのために男性(特に長男)が重要視され、長男以下子どもや女の子の子どもの地位は極端に低かったのです。
長らく日本を支えてきた家制度ですが、平等な権利を与えられていなかった女性や子どもは差別され、完全人格を認められずにいました。
戦後の家族
戦後の新憲法の成立、民法や家族法の改正によって「家父長制」、「直系家族制」の二本柱の家制は廃止されました。
また、第二次産業の発展に伴い、第一次産業は衰退していきました。
それに伴い、地方から都会に移り住む家族が増え、マンションに住む人も多くなることで核家族化が加速されていきました。
高度成長期を迎え、インフラが整い、物が増え、他国に追いつけ追い越せの勢いで国民がひとつの目標に向かっていきます。
その渦中、家族内も完全な分業制となっていきます。
父親は働いてお金を稼ぎ経済面を担当。
24時間戦えますか?というフレーズのCMがありましたが、企業戦士として家族を犠牲にしてでも会社の利益と発展のために命を懸けるという気概で務めていました。
その代わり会社は終身雇用を約束して、収入も右肩上がりが約束されていました。
企業も家族的で結束力が強く、多少の困難や嫌なことにも耐えて働いていくスタイルです。
母親は家事と子育てを担当。
夫が気持ちよく仕事に打ち込めるように文句を言わず、収入内で家計をやり繰りしながら、父親不在の家庭を一手に引き受けていました。
子どもに問題があれば「母親の育て方が悪い」と強く非難されることもありました。
子どもは将来のために猛勉強です。
一流企業(ホワイトカラー職)に就職することが人生の目標となり、受験戦争のため夜遅くまで塾通いは当たり前。
すべてにおいて競争で、勝ち組と負け組のふるいにかけれられ続けました。
とにかく家族よりも国の成長第一という時期です。
その努力の甲斐あって世界第2位の経済大国とまでなり、他国とも肩を並べるまでになりました。
そしてバブル期を迎え、国民は経済絶頂期を謳歌します。
いっけん時代が大きく変わったように見えますが、家族内はまだまだ家制度の体制や意識はそのまま受け継いでいました。
家系、家財、家業に関わらず、社会通念や家庭内の習慣では事実上長男の位置づけは強く、家庭内の冠婚葬祭では親についで施主(喪主も含む)を勤める場合が多くありました。
また、法律上は平等になっても、習慣的に長男は家と祭祀を継承し、さらに親と同居して老後の面倒を見る代わりに兄弟に財産相続を放棄させるという習慣も残っていました。
女性は結婚・出産を機に会社を退職して家に入るという風習も強くありました。
子どもは2~3人で、男性(父親)が一家を支えるという意識により社会は構成されていました。
今現在の日本の制度や法律の多くは、この家族モデルが典型例となっています。
近年の家族
やがてバブルが弾けて日本の経済は徐々に後退していきます。
地上げや財テクで失敗した人は多くの借金を抱えました。
企業は業務を軽減されリストラが横行。
会社も右肩上がりの成長見込めなくなり、収入も上がり続けることもなくなります。
派遣や契約社員などの非正規労働者は増えます。
それに伴い、就職氷河期も訪れます。
日本の競争力も落ちてデフレが起こります。
生活水準も上げることができず、ぎりぎりの生活を強いられている家族も多くなります。
このような時代背景のなかで家族も変化せざる得なくなり、共働きによる家族が多くなっています。
父親だけでの収入では家族を養ってはいけなくなり、母親も働きに出でいくようになります。
いっけん女性の社会進出が拡大したように見えますが問題は残されたままです。
待機児童の問題や長時間労働、非正規雇用、収入の不平等、昇進率の低さなど、女性が働く環境は十分に満足いくものではありません。
さらに拍車をかけるように、少子高齢化社会がよりいっそう進んでいます。
1965年にはひとりの65歳を9.1人の働き手で支えていました。
現在は2.4人。
2050年には1.2人になってしまうのです。
多くの若者は限界と不安を感じています。
一人でも生きていくことが容易ではない時代に、家族を持つということはただのリスクとしか思えずにいます。
男は仕事を頑張って家族を養うべき。
女は子供を産んで育てるべき。
家族を持つのにこの「べき論」にこだわっていては通用しなくなってきたからです。
インターネットが普及して世界を見渡せる時代、国から与えられた価値観を簡単には受け入れらることが難しくなっており、国や家族の「あるべき理想の姿」といったものに囚われず自由に生きたいという気持ちも強くあるのです。
これからの家族
自分の個性を殺してまで家族を作りたくないという流れのなか、これからの家族はどうなっていくのでしょう。
ただ、決して悲観するようなことはありません。
これからは、個人の自由や生き方がより尊重されていくような家族になっていくのではないかと思います。
野球選手のイチロー選手は野球選手に必要な要素である走・攻・守を高い次元で実現することでチームに貢献しています。
一時、自分の成績・記録にこだわるエゴイストのような言い方されたときもありすがそうではありません。
ヒットを打って塁に出ることが野球の基本です。
点を取るためには必ず塁に出ないといけないわけです。
イチロー選手は自分の能力を最大限化することでチーム貢献するという一貫した考えがあるのです。
それが大好きな野球で実現しているので、まさにウィン・ウィンの関係です。
家族問題の多くは時代を問わず、古い価値観と新しい価値観のぶつかり合いからくるものです。
技術や科学の進歩により、次々に新しいものが生み出されており、数年前に当たり前だったことが現代では通用しないことなどはよくある話です。
しかし、人は慣れた現状を維持したいと思う気持ちから、現実に対して無理に昔の価値観を当てはめようとしてしまいます。
親子関係とはまさにこの世代間ギャップからくる問題ともいえます。
もちろん昔の家族のあり方で良い面もあります。
ただ、「家族のあり方は変化していくものだ」ということを忘れてはいけません。
これまでも家族のあり方はその時々の時代と環境に適応するために柔軟に変化してきました。
将来の家族とは、誰かが犠牲になって家族という枠を守るのではなく、家族を構成する一人ひとりがより自由で充実した人生を送りつつ、各自が家族内の役割をしっかりと自覚して共有できるような関係性となるはずです。
そこには、男性だから、女性だから、子どもだから、若いから、経験があるからといったような一つの視野に囚われることなく、よりオープンで、できる人がやるというスタイルになるでしょう。
ただし、それを可能にするためには、国の制度の充実も必要です。
働き方や教育、福祉分野の土台をより一層整備していくことでより容易に可能となります。
まとめ
これまでの家族をキーワードで表すと、
戦前は支えあう家族。
戦後は頼る家族。
近年は助け合う家族。
将来は自立した家族。
ということではないでしょうか。
とはいえ、未来には何が起こるかわかりません。
多様な価値観により、結婚、離婚、同居、別居、新居、出産、血縁、家柄、異性、同性、なども今ある家族の価値観とは大きく変わっていくことでしょう。
ただ、これからも時代の流れの中で形や価値観を変えつつ家族というものは存続していくことは確かです。
家族の形は人それぞれですが、大きな時代の流れと家族のこれまでを知ることで、その流れに逆らわず上手に乗ることで、無理のない家族の姿が見つかるのではないでしょうか。
無理がなく、比べることもなく、家族を構成する皆が活き活きとしていれば、家族関係は自然とよくなり、家族間の衝突や問題も軽減されるでしょう。
その結果、自由で自然な絆で結ばれた家族が出来上がると信じています。
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